戦争映画史を塗り替える衝撃の実話。



第2次世界大戦の激戦地〈ハクソー・リッジ〉で武器を持たずに、
たった1人で75人の命を救った男の実話から生まれた衝撃作

1945年5月、本土上陸のための足場を築こうとする米軍と、それを何としてでも阻止したい日本軍との熾烈な戦闘が繰り返されていました。日本軍の決死の総攻撃に太刀打ちできず、退却していく米軍の中で、弾丸と砲弾が飛び交う戦場へと逆方向に走り出した米兵がいました。彼はこの日、たった一人で戦場に倒れた75人の兵士を奇跡的に救出しました。それが、この6月に日本でも公開される映画『ハクソー・リッジ』(メル・ギブソン監督)の主人公デズモンド・ドス、その人です。
セブンスデー・アドベンチスト教会の忠実な信徒であった彼の信念を曲げない彼の生き方を形作ったのは、み言葉と祈りによる信仰の力でした。

福音社では、映画で描かれていないデズモンド・ドスの信仰やその生き様を垣間見ることのできる『デズモンド・ドスーもうひとつの真実』を発行準備中です。これに合わせ、伝道用小冊子やトラクトも準備しました。この機会に、セブンスデー・アドベンチスト教会とその信仰について、多くの方々に紹介しましょう。


なぜ映画「ハクソー・リッジ」は
アドベンチストにとって有益か。

デズモンド・ドスの映画は
アドベンチストの信仰を
一般の人々に紹介する
大きな機会を提供します


それは間違いなく大きな出来事になるでしょう。

70年以上前、予想もしなかった「英雄」が第二次世界大戦の激戦の中で、敵の銃弾が雨のように降る中、何十人もの傷ついた米軍兵士の命を救いました。その奇跡の実話がいま世界中の映画館のスクリーンに届けられようとしています。複数の国際メディアは、オスカー賞候補としてこの映画を歓迎しています。

「ハクソー・リッジ」は、沖縄戦で75名の兵士をたった一人で救出したセブンスデー・アドベンチストの衛生兵、デズモンド・ドス伍長の物語です。その勇気ある行動のゆえに、合衆国最高の軍の栄誉である米軍最高勲章(Congressional Medal of Honor)を授与されました。

ドスの物語は何回も語られてきましたが、「ハクソー・リッジ」は彼の目覚ましい功績を伝えるための初めてのメジャー作品なのです。監督は、ハリウッドの大物監督メル・ギブソンで、彼はハリウッドやメディアで何回も不名誉を被ってきましたが、この映画でついに名誉回復を果たしたのかも知れません。

ハリウッド・リポーターのデビット・ルーニーはこの映画を「強力な返り咲き」と呼び、ロンドンのテレグラフ紙はこの映画に最高ランクの4つ星を与えています。ベニス映画祭でのハクソー・リッジの初演後、スタンディングオベーションで10分間も拍手が鳴り響いたのです。

「ハクソー・リッジ」は大変な評判になるのは間違いありません。クリスチャンにとってこれは大変なことです。おそらく何百万という人々が「ハクソー・リッジ」という勇気ある英雄の実話を観ることでしょう。

そして、もっと喜ばしいことは、人々はデズモンド・ドスの信仰、生き方、またこのような勇敢な行動をする彼をお守りくださった驚くべき「神」について話し出すだろうということです。

ジョン・ブラッドショー
“It Is Written(原著)”のスピーカー、部長

2016年9月16日掲載

信仰に生きたひとりのアドベンチストを紹介しよう!

伝道用小冊子
「ハクソー・リッジの奇跡」

小冊子販売価格
1セット(同じものを10冊組)1,100円(税込)

A5判/28ページ
※セット販売のみでバラ売りはいたしません。

小冊子『ハクソー・リッジの奇跡』

デズモンド・ドス もうひとつの真実

映画『ハクソー・リッジ』の主人公デズモンド・ドス。
彼はなぜ武器を持たずに戦場に行ったのか?
たった一人で75人の兵士を救出した奇跡の実話の背後にある感動のストーリー。

フランシス・M・ドス著

2017年6月1日 初版第1刷発行
A5判 160ページ
定価:1,100円(税込)
ISBN978-4-89222-496-6

デズモンド・ドス もうひとつの真実

これは前代未聞の機会!

映画「ハクソー・リッジ」はセブンスデー・アドベンチストが制作したものでもなければ、セブンスデー・アドベンチストのために制作されたものでもありません。しかし「ハクソー・リッジ」はアドベンチストにキリストについて語るための、かつてなかったような機会を提供してくれるでしょう。

ハリウッド映画会社の演出で内容が大幅に変更されてきたこれまでのキリスト教映画とは違い、映画「ハクソー・リッジ」ではデズモンド・ドスの信仰を過小評価したり、彼の考え方について軽視も蔑んだりもしていません。むしろ非常に丁寧に、尊敬を込めて、正確にドスの神に対する信仰を表現しています。ドスは「狂信者」あるいは「おかしな少数派の一員」としても描かれていません。ドス伍長-沖縄戦の時には上等兵(private first class)でした-は、バランスのとれた人、安息日を守り、菜食主義者で、聖書に忠実なクリスチャン、圧倒的な敵対者を前にしても聖書信仰に立とうとする信仰の人として描かれています。

メル・ギブソン監督の映画「ハクソー・リッジ」はクリスチャンの動かされない神への強い信頼を描いた感動的な物語です。この映画は、セブンスデー・アドベンチストの信仰を世界中で意識される舞台へと押しあげようとしています。元神経外科医ベン・カーソンが合衆国共和党の大統領候補になった時、影響あるメディアがセブンスデー・アドベンチストとは何か? またセブンスデー・アドベンチストの信仰を紹介する記事を特集しました。しかし、デズモンド・ドスの真実の物語は政治の枠を超え、宗教的な境界さえ超えていこうとしているのです。

私たちは、ハリウッドやメル・ギブソンがデズモンド・ドスの物語を熱心に伝えるのに、戦闘の暴力場面をふんだんに用いたことに賛成する必要はありません。映画そのものを支持しなかったとしても、「ハクソー・リッジ」が提供するチャンスを用いることはできます。

私たちが映画を観なかったとしても、隣人や同僚、友人たちはきっと「ハクソー・リッジ」を観るでしょう。新聞の見出しを占領するようなこの映画と一緒に、世界中のクリスチャンにチャンスを提供し、デズモンド・ドスの信じる神とその信仰を好意的に語るのです。

教会員は「ハクソー・リッジ」を観た人々と会話をしたいと思うでしょう。デズモンド・ドスについてばかりでなく、彼が信じていたこと、神への信仰に固く立つようにさせたものは何だったのかを知りたいと思う人々の質問に、答えを準備をする必要があります。人々はきっと質問してくるでしょう、そして教会員たちはその会話の準備をしておくのです。

映画「ハクソー・リッジ」の公開に合わせて、人々に証をするための特別な小冊子、「ハクソー・リッジの奇跡」を製作しました。注文してぜひ有効にご活用ください。

参考:Adventist Review (2016年9月13日掲載)の“In Poland, Adventists Gear Up for Release of Mel Gibson’s ‘Hacksaw Ridge’”

Desmond Doss

「主よ、もう一人救わせてください!」

映画のワンシーンで、ハリウッドの人気俳優アンドリュー・ガーフィールド演ずるデズモンド・ドスが、命がけで米国の負傷兵を救い出そうとします。一人の兵士を安全な場所に無事に吊り降ろすとドスは祈ります。「主よ、もう一人救わせてください!」もう一人の兵士を無事に降ろすたびごとにその祈りを繰り返します。「主よ、もう一人救わせてください!」

デズモンド・ドスの祈りは、アドベンチストがどこにいても日々捧げるべき祈りです。「主よ、もう一人救わせてください。もう一人救えるように助けてください!」

「ハクソー・リッジ」は伝道のために制作された映画ではありません。しかしキリストの弟子は様々な形で存在する証しの機会をとらえます。ハリウッド制作の映画を通してでも。「ハクソー・リッジ」は教会員が世界に向かって次のように叫ぶ機会を与えます。
「これこそ、私たちの信じている神です。これが行動に表されたアドベンチスト信仰なのです」

6月24日に映画「ハクソー・リッジ」が日本で公開された時、数え切れない人々が神とアドベンチストの信仰に触れることを想像してみてください。「ハクソー・リッジ」が神のお許しなしに制作されたと考えることのほうが難しいでしょう。アドベンチストの勇敢な一信徒の信仰が描かれることにより、人々から肯定的に受け入れられることの少ない教会が、今度は肯定的な会話の的になるのです。これはまさに前代未聞の機会です。

デズモンド・ドスは現在、合衆国テネシー州チャタヌーガ国立墓地にある質素な墓標のもとに眠っています。彼の没後10年目に、ハリウッドは彼の戦争での英雄武勇伝を世界中に知らせようとしています。彼が信じ続けた「救い主の物語」「恵みの力」と「イエスの再臨の約束」を人々に伝える役割は、今この時代を生きている私たちアドベンチストに任せられているのです。

その日は間もなくやってきます。
皆さんは準備が出来ていますか?

Hacksaw ridge

デズモンド・ドスの物語

1942年4月1日、デズモンド・ドスは米国陸軍に入隊しました。それから3年半後、彼はホワイトハウスの芝生の上に、戦中における勇敢と勇気を称える米国の最高勲章を授与されるために立っていました。第二次世界大戦中には1600万人の兵士が戦いましたが、たった431人しかこの名誉勲章を受け取っていません。その中に、銃を持つのを拒み、1人の敵をも殺さなかった若いセブンスデー・アドベンチスト教会のクリスチャンがいました。彼の唯一の武器は、聖書と神への信仰だけでした。 ハリー・S・トルーマン大統領は、1945年10月12日ホワイトハウスに集まった人々の前で、彼の表彰状が読まれている時に、デズモンド・トーマス・ドス伍長の手を温かく握って言いました。「あなたを誇りに思う。あなたは本当にこの受賞にふさわしい。これは大統領になるよりも素晴らしい勲章だと思う」。

パールハーバーが攻撃された時、デズモンドはニューポート・ニュース海軍造船場で働いており、徴兵猶予を要求することができました。しかし、彼は自由を守るために自ら前線で自分の命を危険に晒そうとしました。彼は望んで陸軍衛生兵になり、また武器を持たなくてすむ良心的兵役拒否者として分類されました。
ライフル歩兵隊に配属された時、彼が武器所持を拒否したため、仲間の兵隊たちに軽蔑されることになりました。彼らは彼を邪魔者扱いし、いじめました。

1人の兵は「ドス、俺たちが戦闘に入ったら、きっとお前が生きて帰って来れないようにしてやる」と脅しました。また司令官も、南部訛りで話す痩せたヴァージニア出身の兵を排除しようと望みました。皆がドスをお荷物と見ていました。誰一人、武器を持たない兵士が役に立つとは思いませんでした。

脅迫し、叱り、特別にきつい任務を与え、また精神的に陸軍に相応しくないと宣言しました。そして、彼らは武器を携帯する命令を無視したとして軍法会議にかけようとしました。が、彼を処分するうまい方法を見つけられず、ドスは離隊するのを拒否しました。彼は自分の義務は、神様に従いそして国に尽くすことだと信じました。その順序が大切でした。その揺るぎない確信がとても大切だったのです。

デズモンドは熱心な聖書の信仰を持って育ちました。十戒のことになると、それを個人的にあてはめました。

彼が子供の頃、父親がオークションで大きな額付きの写真を買ってきました。それは色彩豊かに十戒が描かれていました。「汝、殺すなかれ」という言葉の隣に、カインがこん棒を持ち、死んだ弟アベルの横に立っているのが描かれていました。デズモンド少年はその絵を見ては、「なぜカインはアベルを殺したの? 一体なぜ兄弟がそんなことするの?」と尋ねるのでした。 デズモンドの心に、神様は「もし私を愛するなら、あなたは殺さないであろう」と語りかけました。その絵は堅く彼の心の中に刻まれ、彼は命を殺めることを絶対にしないと決意しました。

しかし、この6番目の掟と同じぐらいデズモンドが真剣に受け止めた掟が他にもありました。それは4番目の掟でした。宗教的に育った教えの中に、七日目には毎週教会に行くことがありました。陸軍は、彼にもう一つの個人的な要求があることを知り、苛立ちました。彼は毎週土曜日に教会へ出席できるよう、週毎に許可を求めたのです。このため彼に2つの打撃ができました。仲間の兵士は、この聖書を読むピューリタンを、完全に陸軍と歩調が合わない者と見なしました。彼は除け者にされ、いじめられ、ひどい名前で呼ばれ、罵られたのです。彼の上官も彼を生き難くしました。ことが変化し始めたのは、この物静かで気取らない衛生兵が行進で疲れ切った彼らの足の水ぶくれを治療できることを知った時でした。誰かが熱射病で倒れた時に、この衛生兵がそばに来て彼の水筒を差し出したのです。デズモンドは決して恨みを持ちませんでした。親切で優しく、悪態をついていた人たちに接しました。「人にしてほしいと思うことは何でも、あなた方も人にしなさい…」(マタイ7:12)という黄金律を生きたのです。

デズモンドはグアムとレイテ島の戦闘に従軍しました。それぞれの軍事作戦で彼は並外れた働きを仲間に示しました。他の兵士が命を奪っていた時に、彼は命を救うのに忙しくしていました。敵の銃弾が音を立てて飛び合い迫撃砲が周りで爆発する中、彼は何回も走って倒れた仲間を手当し、安全な場所に運びました。沖縄に到着した頃には、彼の武勇に対してブロンズスター勲章を2つも受賞していました。

1945年5月、日本軍が本土への連合国の進撃を食い止める最後の防壁である沖縄を血眼になって防衛していました。アメリカ軍の目標は、ハクソーリッジ(鋸断崖)と兵士たちが呼ぶ岩盤むき出しの前田高地を占領することでした。彼らがその絶壁の頂上を確保すると、日本軍が突然反撃してきました。上官は即時退却を命じました。100人以上が負傷し敵地で死を意識した時、ただ一人の衛生兵が命令に背いて戦火の中に突撃して戻って行きました。祈りを絶えず口にしながら、自分が倒れるか撃たれて死ぬ前にできるだけ多くの兵士を救い出そうと誓いました。彼の堅い決意と揺るぎない勇気により1945年4月5日、安息日のその日に少なくとも75人もの命を救ったのです。

数日後の夜襲失敗の時、デズモンド自身も重傷を負いました。砲弾でできた穴に2人の兵士と隠れていた時に日本軍の手榴弾が彼の足下に落ちてきました。その爆発によって彼は吹っ飛んだのです。その榴散弾が彼の足と腰を引き裂きました。安全な場所に移動しようとした時、スナイパーの銃弾が彼の腕を粉々にしました。衛生兵としての彼の武勇は終わったかに思えました。しかし彼を運ぼうとする担架の担ぎ手に、自分よりも先に別の兵士を運ぶようにと強く訴え続けたのです。負傷し、痛みに耐えながらもなお、他者の安全を優先したのです。1946年に陸軍を名誉除隊する前にデズモンドは結核を患い、87歳を迎えた2006年3月23日に亡くなりました。

彼はテネシー州のチャタヌーガの国立墓地に葬られました。詳細については以下をご覧ください。
visit the Desmond Doss Foundation Desmond - Doss Council.

治療中のドス